ABOUT DONALD O'CONNOR

本名 Donald David Dixon Ronald O'connor
1925年8月28日、シカゴで7人兄弟の末っ子として生まれる。
(兄弟のうち3人は幼児期に亡くなる。)
父ジョン・エドワード・オコーナーはリングリング・ブラザーズサーカスの軽業師、 母エフィもサーカスでブランコや裸馬乗りで活躍していた。
後に一家でボードビルに活動を移し、オコーナーファミリーとして活躍する。 ドナルドは1歳のときに初舞台を踏む。その頃6歳の姉が自動車事故で亡くなり、 数ヶ月後に父が心臓麻痺で死去するという不幸に相次いで見舞われるが、 その後も兄嫁と娘を合わせた6人で活動を続ける。
母は末っ子のドナルドをとくに可愛がり、ドナルドに女の子のような格好をさせた。 10歳になった頃、他の子供に女々しいとからかわれ うんざりした
ドナルドは、すぐ床屋に行ってカールした前髪を切り、母は嘆き悲しんだ。

ドナルドが11歳のときに兄と『二つのメロディ』で映画初出演。
(クレジットはされなかった。)後、『ボー・ジェスト』のゲイリー・クーパーの少年時代や『シング・ユー・シナーズ』でビング・クロスビーと共演するなど、子役として11本の映画に出る。

1939年、兄のビルがしょう紅熱で他界し、ドナルドはボードビルに呼び戻される。 母はドナルドをハリウッドに戻すつもりはなかった。
ドナルドは巡業中に、マンスフィールド劇場に出ていたペギー・ライアンと二人で 『ベスト・フット・フォワード』のオーディションを受けに行き、落とされる。 (後、ペギーとドナルドが映画界で活躍するようになって『ベスト・フット・フォワード』に 二人を借りたいと言われ、即座に断ったらしい(笑)

1942年、16歳のドナルドは再び映画界にスカウトされ、ユニバーサルの若手ダンスグループ Jilvin Jack and Jillsの中でペギー・ライアンとダンスコンビを組み、評判になる。
ドナルドは他のメンバーに比べ、自分のダンスは充分でないと思っていた。
ダンスの基礎を習ったことがないドナルドは、全て踊りは見て覚えていた。 映画会社はドナルドに基礎を習得させて時間を節約しようと、ダンス教師を派遣したが、 2週間でダンス教師は教えるのを諦めたという。
1944年、ドナルドは米軍に入隊前に、恋人グウェン・カーターと結婚する。
翌年、娘のドナ=グウェン誕生。 (1954年離婚。『ショウほど素敵な商売はない』の後、グウェンは彼の父親役のダン・デイリーと再婚した。)

1950年にドナルドはユニバーサルのコメディ映画『Francis』シリーズで人気者になる。 このシリーズは計7本作られ、うち6本に出演。
1951年MGMに『雨に唄えば』のジーン・ケリーの友人役で貸し出され、 翌年同じくMGMでデビー・レイノルズとのコンビで『I Love Melvin』に主演する。
また、エセル・マーマンの舞台『Call me madam』の映画版で ヴェラ=エレンと共演。マーマンとは『ショウほど素敵な商売はない』で 再共演となる。
1956年、ビング・クロスビーとミッツィ・ゲイナー、ジジ・ジャンメイルとの 『Anything Goes』に出演。以降、TVを中心に活躍。 1968年『ドナルド・オコーナー・ショウ』が短期間で終わった後 アルコールに溺れるが、回復する。

1956年、ドナルドは後に生涯の伴侶となるグロリア・ノーブルと再婚。
翌年娘のアリシアが生まれ、続いて息子のドナルド=フレデリック、ケビンの 3人の子供に恵まれる。
2003年9月27日、心臓発作のため78歳で他界。


←back